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アフガニスタン撤退

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 ドイツ紙(ZEIT online)に、気になる記事が掲載されていたので、雑に和訳してみる。

 

 記事のタイトルは、"Truppenabzug aus Afghanistan: Zwanzig Jahre Krieg, und keinen kümmert's"(アフガニスタンからの軍隊の撤退:20年の戦争、そして誰も気にしない)。「アフガニスタンからのNATO軍の撤退は、この国でもほとんど関心がない。タリバンは再び勢力を拡大している。第二の「サイゴンの瞬間」が迫っているのか?」Matthias Naß(マティアス・ナス)のコラム。以下、内容である:

 

 恐怖も悲しみも怒りもない。アメリカおよびNATO同盟国がアフガニスタンから軍を撤退させた今、我々が経験していることは、むしろ気恥ずかしい沈黙であり、已むを得ないものへの屈服である。それとも本当にどうでもいいこと、無関心なのであろうか?というのも、我々は、サッカー、コロナウイルス、それに休暇など、他のことにより関心があるので?

 

 ジョー・バイデンは、数日前に南ドイツ新聞にコメントし、アメリカ軍撤退の内政的に「理想的な時期」を見出した。「アフガニスタン?今は誰も興味を持っていない。(...)政治的な議論はない。」この国でも同じである。これが、帰還したドイツ連邦軍派遣団を、誰も出迎えなかった理由を説明している。首相も大臣も、国会議員も、一人もいなかった。


 20年に及んだ戦争を誰も気にしていない。2001年に政権の座を失ったタリバンは、アフガニスタンの至る所で再び勢力を拡大している。彼らはすでに、国内の400の地区のほぼ半分をその勢力下に置いている。アメリカの諜報機関は、イスラム戦士が今後6か月以内にカブールを奪還する可能性があると推測している。彼らは女子学校を閉鎖し始め、西側の軍隊に協力した人々に血なまぐさい復讐を始めている。


 首都カブールは、「サイゴンの瞬間」の準備をしている。色あせた写真は、1975年4月に共産主義のベトコンが南ベトナムの首都サイゴンに侵入し、絶望的な人々が最後のアメリカのヘリコプターに駆け込んで、米国大使館の屋上から飛び立った日を思い出させる。カブールではそのような場面はない、とジョー・バイデンは保証する。どうして彼はそれを知っているのだろうか?いずれにせよ、タリバンの侵攻速度は恐ろしいほど速い。

 

 それで結局、それはすべて無駄であったのか?アメリカ大統領は、それについて問われたくはない。2001年9月11日の同時多発テロに、アメリカとその同盟国が対応した軍事介入の二つの主な目的は、すでに達成された。アフガニスタンのアルカ​​イダの拠点は破壊され、オサマ・ビン・ラディンは殺害された。アフガニスタンはもはや国際テロの拠点ではない。

 

 しかし、これら二つの目標は、10年前に達成された。この国に平和をもたらし、民主主義を導入することを含め、他のすべては、ほとんど失敗した。しかし、さらに長く軍を駐留させるのか?誰もがそのように認識できる幻想を、さらに追い続けるのだろうか?バイデンにはその準備ができていなかった。先週の記者会見では、彼は怒って質問者の方を向いた。何千ものアメリカ兵の命を危険にさらす必要があるのか?彼らはどのくらい駐留する必要があるのか?

 

 アメリカ大統領は、失敗を認めたくない。そして、彼が「任務はまだ失敗していない」と言うとき、それはそのとおりである。ジョー・バイデンは、アフガニスタンでの新しい国家建設の成功を信じたことはなかった。その代わりに、彼は「アフガニスタンの将来を決定することは、アフガニスタンの人々だけの権利と責任である」と言う。

 

 バイデンの懐疑論は、今日のアメリカとヨーロッパ双方の大多数の国民によって共有される可能性がある。間もなく、政治的または人道的理由のいずれかのために、西側は、もはや世界の遠隔地域に介入しなくなる。

 

 1990年代に「人道的介入」の(短い)時代が始まったという希望は、大きな幻滅に道を譲った。幻滅には、アフガニスタンイラクリビアの三つの国名が記されている。イラク戦争は、恥知らずな嘘に基づいていた。リビアでの戦争は、合理的な衝動から始まったが、戦略的に練られていなかった。アフガニスタンでの戦争は、もはやテロの脅威をもたらさなくなったとき、その政治的正当性を失った。

 

 その後、西側はシリアをその運命に任せた。それで彼らは賢明に行動したのだろうか?それとも不作為の罪を犯したのだろうか?カンボジアルワンダのような大量虐殺からの教訓は、次のとおりであった。すなわち、人道に対する罪に関しては、国際社会は見過ごしてはならない。その場合、それは国家主権原則の背後に隠されてはならない。それが国際刑事裁判所が創設された理由であり、それが国際的な「保護責任」の規範が導入された理由である。


 軍事介入の正当な動機があったのかもしれない。「決して(そんなことはない)!」という呼びかけは、責任ある外交政策の十分な根拠ではない。しかし、合理的な判断に反して、達成できない戦争目標を保持することも無責任である。

 

 アフガニスタンでの20年の戦争:継続的な軍事的関与が絶望的であるという判断は、遅すぎた。今、西側は、こそ泥のように、急いで撤退する。アメリカ軍は先週、バグラムの巨大な空軍基地を閉鎖した。それから略奪者がやって来た。

 

 タリバンは、日々前進し続けている。多くの場所で、アフガニスタン軍兵士は、武器を放棄し戦わずして逃亡した。西側では、単純な答えを持っている人はこう言うであろう:「それは最初からすべて間違っていた。」すると他の人はこう尋ねる:「正確に、何が間違っていたのか?いつ、別の決定を下すべきであったのか?我々はこの過ちから、何を学べるのか?」

 

 しかし、誰もが自分の良心の声を聞かねばならない。恐怖、悲しみ、怒りが生起するからである。兵士を20年に及ぶ戦争に送り込んだ国は、現在の無関心に耐えることができない。

 

 以上である。何かもう、身も蓋もない記事である。アフガニスタンの場合は仕方のない部分もあったとは思うが、あのイラク戦争は、これはアメリカ、イギリス等による、正真正銘の国際的テロ行為と言ってよいのではないのか。正義も正当性も何も、全く無い戦争であった。酷い話である。

 

 それにしても、武器よりも重要なもの、強力なものがあることを知らなかったのか、忘れていたのか知らないが、莫大な費用と犠牲を払った、西側諸国による20年にも及ぶ軍事介入が、結局は何の意味もなかったという、全くもってお粗末な話である。