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Das ist ein Tagebuch...

魂を奪われたオリンピック

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 ドイツ紙(ZEIT online)に、オリンピック関連の記事が掲載されていたので、雑に和訳してみる。

 

 記事のタイトルは、"Olympische Spiele 2021: Olympia ist seiner Seele beraubt"(2021年のオリンピック:オリンピックは魂を奪われる)。「オリンピックは、パンデミックに対する人類の勝利を祝うことを目的としていた。今、オリンピックは人類の敗北の象徴になる。意志、先見性、勇気が足りなかったからである。」トービアス・ラントヴェーア(Tobias Landwehr)による記事。以下、内容である:

 東京での感染者数は再び増加しており、感染の第五波が差し迫っている。人口約1,400万人のこの都市では、毎日約900名の新規感染者がある。ちょうど一ヶ月前に決定された緩和は撤回されており、東京は緊急事態のレベル4に戻っている。


 結局のところ、オリンピックに観客を入れるのは困難である。そのため、世界最大のスポーツイベントは、(福島でのサッカーや札幌でのマラソンなど、東京以外のイベントを除き)無観客で開催されることが決定された。したがって、オリンピックはその本来の目的である魂を奪われた。

 

 オリンピックは国際社会の社会的接合剤である。アスリート(オリンピック選手としてでなく群衆に簡単に溶け込む)、観客、そして市民はお互いに開放的になる。最後に残されていた、国内の観客だけが認められたスリム化された案では、東京は少なくとも、観衆の声援に値する以上のアスリートには、開放されていたであろう。

 

 しかしながら、オリンピック選手は現在、コロナ患者のように東京から隔離されている。そして、この都市の住民である東京都民にとって、世界の国々からの侵入者は、火星探査や原発プラントにおけるのと同じような遠隔操作によって、扱うことができる。…

 

 オリンピックの精神は、単に施設や競技だけでは生まれない。競技は人の集いである。低俗と思われるかもしれないが、オリンピックではクロアチアの漕ぎ手と散歩してお喋りしたり、彼の銀メダルに触れたりすることも、または、アルゼンチンのファンと一晩中ホッケーの金メダルを祝うことも、できる。


 しかし、このような出会いは今回は存在しない。日本にはそれを違ったやり方で行うのに十分な時間があった。1月にダボスで開催された経済サミットで、菅義偉は「今回の競技は、コロナに対する人類の勝利の証であり、世界的な統一の象徴となるだろう」と発表した。その勝利は、日本のものになるはずだった。日本の政治家は人間の競技を望んでいた。しかし、この時点でさえ、彼らはそれに基づいて行動しなかった。


 大規模イベントに観客を呼び戻す唯一の方法は、社会全体で免疫反応を高めることである:主にワクチン接種によって。その結果、Covid-19はその致死性を失い、ひいては恐怖を失う。イギリスのボリス・ジョンソン首相は、このルールに従って行動した。ウィンブルドンとウェンブリーには、たとえそれが批判される可能性があるとしても、観客がいるのはそのためである。しかし、少なくともイギリスは、高価なワクチンを惜しみなく購入し、プロセスを短縮し、研究を委託した。これらは日本では、なされなかった。

 

 11月に世界的に認められたファイザーによる国際研究(被験者数44,000名、うちアジアから2,000名)に加えて、日本は別の国内研究を予定している。規模:日本人160名。医学的および統計的に全く関連性がないため、この治験の承認は5月まで延期された。そしてそれ以降、日本では実際にワクチン接種が始まった。しかし、大規模イベントであるオリンピックの観客にとって遅すぎた。

 

 しかし、子宮頸がんの予防接種に関するフェイクニュースの波と1990年代からの裁判所判決を受けて、日本でも予防接種に対する懐疑論が存在する。予防接種の代わりに、国は国民の自己規律(自粛)に依存している。しかし、それは起こらなかった。1年以上のパンデミックの結果、日本人は孤立にうんざりしている。特にオリンピックに関しては、観戦することがほとんどできない。新規感染者の大部分は、結局は再び享楽したいと思っている20〜30歳の若者である。

 

 日本政府はオリンピックを主催したかったが、何も排除したくなかった。結局のところ、10月には選挙がある。しかし、どちらも不可能である。オリンピックを中止し、国民にとって快適な方法でパンデミックに対応すること、あるいは、オリンピックを完全に主催するために、日本と東京の市民に何かを要求すること、これらは一貫性があったであろう。

 

 したがって、一貫性がなく、両方を失った。すなわち、民意(目下菅は史上最低の支持率)とオリンピックの魂とを。

 

 残されているのはテレビ放送である。しかし、これは何よりもスポンサーである、トーマス・バッハIOCにとって幸運である。なぜなら、それは彼らの収入の大部分を生み出すからである。一方で、東京と日本の納税者は、目下払い戻しが必要な最大7億ユーロのチケット代金を失った。IOCは、契約上、損失を補償する義務を負わない。

 

 今回のオリンピックは、パンデミックに対する人類の勝利を祝うことを目的としていた。しかし今、オリンピックは人類の敗北の象徴になっている。彼らは、オリンピックとは何か、そしてパンデミックが実際に脅かしているもの、つまり人間関係を維持する意志、先見性、勇気が不足していたことを示している。

 

 以上である。あまり質の良い記事ではないが、それでも、今回のオリンピックを巡る一連の出来事で、どんなに鈍感な者でも、良くも悪くも、この国(および日本人)の実態を、少しは瞥見することができたことを示唆する記事であると思う。