QVOD TIBI HOC ALTERI

Das ist ein Tagebuch...

何もないのが一番良い

  「自分たちの周りの環境によって私たちの心はアンバランスになって来ます。現代社は、美しいものや心を刺激するものが多くあります。そういう環境の中にいると、「あれが欲しいこれが欲しい」と心が走り回ることになって、「もっと、もっと」となってくるわけです。そんな風にして心がバランスを崩すのです。そういう風に、欲望にとらわれて追いかけまわしているわけで、欲を止めるのは大変難しいわけです。 
 
 自分が死ぬまでその欲望の車はずっと止まることがありません。人間は、何かを手に入れれば、もっと欲しくなる。何かを手に入れれば、もっと苦しみが増えてくるということになります。
 
 例えば禅定に入ることができれば、そこには家とか車はないのですが、瞑想の対象、ミニッタに心が向いていて、1時間・2時間、非常に平安で幸せな感覚がずっと続いて行きます。ですから、禅定を得ることができれば、高い車を買う必要もありませんし、高いお金を出して家を買うこともありません。ただ木の下に行って、座っていれば心が満たされて安定してくるのです。 
 
 そんな風にして私たちはダンマがいかに大切かが分かります。外側の物質的な物を求めて行くと、きりが無くて、いつも疲れてしまいます。ブッダは「何もないのが一番良い」と言われました。持っている物がより少なければ、より苦しみが少なくなってきます。どうですか。それが、真実ではありませんか?それは真実ですが、受け入れるのはなかなか難しいのです。
 
 ダンマの言っている事と今の社会で人々がしている事は 180 度方向が違います。人間界ではお金や家を持っている事が良いこととされているわけで、お金も無いし、家も無いとあまり信頼されないし、尊敬を受けません。それが事実ではありませんか?日本ではどうか知りませんか、ミャンマーではそんな風になっています。私たちは、お金はありませんが、ダンマがあるから、落ち込んだりすることは全然ないのです。 
 
 例えば人々は、お金が無かったりして自分を見下した時に、あるいはこの社会で生きていて、人々が自分を尊敬せず、見下されたりすると、自分の心が動揺して落ち込んだり、自信を無くしたりします。ですから私たちはダンマをしっかり理解し、心を強くする必要があるわけです。そして自分たちの心を勇気づけることが必要です。私たちはいつも自分の心を励まして、強くすることが大事なのです。そういう風に瞑想をしてダンマを学ぶことが大切です。そして「何もない事が一番良い」という真理を知ることが大事です。」(ディーパンカラセヤレイの法話より
 
 この世に、本当の意味での「自分のもの」など、ひとつも存在しない。というのも、「自分のもの」とは、そのものを自分が完全に支配できるとき、換言すれば、完全に自分の意のままにできるときのみ、そう言えるからである。だから、所有は不可能なのである。
 
 この定義に依拠すれば、自分の身体でさえ、自分のものとはいえなくなる。なぜならば、身体は、自分の意思に反して、老いていき、病に罹り、そして最後にはその機能を停止するからである。自分の身体でさえ自分のものでないのなら、それ以外の何が自分のものといえようか?
 
 したがって、富、財産、権力、知識、さらには感情等にいたるまで、人は本当はそれらを「自分のもの」とすることはできない-もっとも、「所有した」という錯覚をいだくことはできるかもしれないが。そのようなものは、人が生きる上で必要なものかもしれないが、必要以上に求める価値のないものである。なぜならば、それらは絶対に「自分のもの」には出来ないからである。その理由は、自分の身体と同様に、自分の意志に反して、それら「所有物」は、劣化・損傷・滅却していき、最後は、自分の死によって、それらをすべて、完全に失うことになるからである。
 
 あるいは、自分のものにする(所有する)ということは、所有物の保全や使用に気を使うことでもある。つまり、人は、何かを苦労して手に入れると、多くの場合、それが損傷したり、喪失したり、盗難にあったりするのを防ぐために、大変気を使わなければならない羽目に陥る。そして、そうした懸念が、物を手に入れた時の喜びを台無しにしてしまうことも度々である。この意味で、モノを持つということは、悩み苦しみの始まりと言っても良いかもしれない。
 
 所有するものが無ければ、心配すべき対象も無い。そして、心配や不安から解放された状態こそが、最高の幸福なのである。だから、自分のものに執着し、それを徒に増やそうとするのは、愚かなことなのである。世人は、モノがないと心配する。その一方で、彼は、モノがあると心配する。世人は彼を変人とも、狂人とも言うかもしれない。しかし本当は、身心を含め、何もないのが、最高の幸福なのである。私はそう思う。