QVOD TIBI HOC ALTERI

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アーナーパーナ・サティ(7-3)

仏教の総体


 アーナーパーナ・サティを通して、私たちは仏教の最も基本的な原則、すなわち、sīla-samādhi-paññā(三学)を実践します。これらの三つの要因は、修行者に完全に存在します。揺るぎない決意を行使し、心を正しい行動に向けることは戒律です。アーナーパーナ・サティのすべての段階で必要な、この確固たる意図は、自動的に発生する自然のシーラ(戒)を引き起こします。その結果、サマーディ(定)も発生します。なぜなら、私たちの意図により、サマーディが発生するまで修習するからです。そしてパンニャ(慧)もまた、特に最も完璧な知恵である第四の項目で発達します。ですから、アーナーパーナ・サティの正しい実践において、私たちは仏教全体を実践しています。

 

 仏教をもっと詳しく見ると、七覚支について学びます。安那般那念経では、仏陀は、十六の段階の完全な実践が、四つのsatipaṭṭhāna(気づきの基礎)を完成させることを、私たちに保証します。satipaṭṭhāna(体、感覚、心、法:つまり、四つの項目の対象)を完成させることによって、七覚支が完成します。その後、完全な目覚めが保証されます。七覚支は、阿羅漢(すべての苦から解放された人間)の目覚めにつながる、まさにその要因です。これらを詳細に議論するには別の本が必要です。今、私たちはこれらの要素に名前を付けるスペースしかないので、少なくとも一度は聞いたことがあるでしょう:sati(念:気付き)、dhammavicaya(択法:法の選択)、viriya(精進:努力)、pīti(喜、満足)、passaddhi(軽安、精神的な快適さ)、samādhi(定:集中)、およびupekkhā(捨、落ち着き)。

 

 アーナーパーナ・サティが適切かつ完全に実践されている場合、これらの七覚支、したがって、完全な目覚めは確実なことであることを、ご理解いただければ幸いです。伝えられてきた仏陀の言葉が、これをはっきりと述べています。もちろん、皆さんはこの真実を自分で調べることができ、そしてそうすべきです。

 

 別の言い方をすれば、非常に簡単に言えば、アーナーパーナ・サティは利己心を取り除くのに役立ちます。それは利己主義の全滅に捧げられた修行体系です。

 

 仏教の目的は、利己主義の終焉です。他に何もすることはありません。説明は拡大して複雑になるかもしれませんが、それらはすべて、利己主義を取り除くという、ただ一つのことに要約されます。私たちはこの点を理解するために、法を研究します:すべての法は空であり、自己を欠いています。涅槃は最高の空(suññatā)であり、利己主義からの完全な自由です。私たちは、すべての利己心を除去し心を浄化するために瞑想を実践します。アーナーパーナ・サティは、私たちが利己主義、利己主義の源、利己主義の終焉、そして利己主義の終焉に至る道を見るのを助けます。

 

 私たちは、体と心がどのようなものかを、理解しています。そして、私たちを恣意的に騙し続ける感覚(vedanā)が如何なるものかを、更に、すべてのものが本当に空で、無我であることを、理解しています。自我の概念を切り離すことは、本能的な利己主義の力を奪います。そうすることで、心の煩悩を減少させ、問題を解決させ、苦を解消することができます。確かに、皆さんは今、「新しい生命」、利己主義のくびきから解放された生命を発見するために、アーナーパーナ・サティを学び、実践する必要性を自分自身で見ることができます。

 

涅槃:今ここ


 呼吸における気づきの最大の利点は、今生でnibbāna(涅槃)を体験することです。私たちはここで涅槃について話しているのですが、今は死ぬことなく、死とは何の関係もない涅槃です。「涅槃」とは、「冷気、冷却、鎮火」を意味します。この用語は、物質的なものにも適用できます。例えば、燃えている木炭が熱くなくなるまでゆっくりと冷えると、このプロセスは涅槃と呼ばれます。スープが熱すぎて食べられず、冷めるのを待つ場合、スープはもうすぐ涅槃で食べられるようになると言えます。捕獲され、飼いならされ、訓練されたジャングルの野生の危険な動物でさえ、家畜になったら涅槃と言えます。パーリ語のテキストでは、この言葉は物質的なもの、動物、人々に関連して使用されています。何かが熱いのではなく涼しいとき、それは涅槃です。

 

 "Nibbuto"という言葉も、ほぼ同じ意味です。それがまだ永続的で完璧ではない一時的な涼しさである場合、それをニッブトと呼びます。完璧な涅槃と同じ味です。ニッブトとは、売り手が購入したい商品を見せてくれる試供品のようなものです。それらは同じでなければなりません。ここに簡単に味わう涅槃の試供品があります。これを一時的な涅槃、または"sāmāyika-nibbāna"と呼びます。

 

 涼しさは、「ある状況」によってもたらされる、涅槃を表すこともできます。パーリ経典では、それは「ある状況」であり、「偶然」のようなものを意味します。たとえば、サティで呼吸をしているとき、チッタは涼しいです。アーナーパーナ・サティは「ある状況」であり、仲介者であり、この涼しさをもたらす原因です。これは、"tadanga-nibbāna"、「一時的な」涅槃です。煩悩がないときは、涼しさが生じます。ここで、アーナーパーナ・サティは、煩悩の火を消します。一時的ではありますが、火は消え、若干涼しくなります。ですから、アーナーパーナ・サティは、私たちがこの人生で少しずつ、刻々と涅槃を味わうのを助けてくれます。私たちはそのために死ぬ必要さえありません。修習することで、完全な涅槃が生じるまで、涼しさの持続時間は増加し、その程度と頻度は増加します。それは、私が最も満足し、死ぬに値すると考える恩恵です。

 

 おそらく、すべてが本当にうまくいっていることを想像することによって、この状態に近づくのに役立ちます。皆さんは健康で、経済的に安定して、良い家族、良い友人、そして良い環境を持っています。そうすれば、皆さんの人生は涅槃の意味において、"cool"です。それは完璧な涅槃ではないかもしれません。完璧であるためには、クールな心を必要とするでしょうが、それはクールです。今でもアーナーパーナ・サティを実践すれば、最も満足のいく種類の涅槃を手に入れることができます。体が涼しく、心が涼しく、あらゆる点で涼しくなります。

 

最後の息


 アーナーパーナ・サティの実践には他にも多くの利点がありますが、それらすべてを列挙することは、この本の範囲を超えています。しかし、最後にもう一つ言いたいことがあります。それは、私たちの人生の最後の息吹に気づくことです。つまり、私たちは死ぬ息を認識します。これは、私たちが死の瞬間を選ぶという意味ではありません。それは、アーナーパーナ・サティの経験を通して、私たちが呼吸の専門家になったことを意味するだけです。この息の間に死ぬかどうかがすぐにわかります。そうすれば、私たちは人生の最後の息吹を予測することができます。

 

 仏陀自身は、アーナーパーナ・サティの実践を通して完全な覚醒(anuttara sammāsambodhi)を達成したと宣言しました。したがって、すべての人がそれらについて学び、実践できるように、それらを皆さんと世界中の人々に届けることができてうれしいです。仏陀は、アーナーパーナ・サティを実践することにより仏陀になりました。それで仏陀は、これをすべての中で最高のシステムとして私たちに提供しました。彼は私たちに、私たち自身の利益のために、他の人の利益のために、すべての人の利益のために、この修習を使うように指示しました。呼吸に気を配るより以上に、法を実践するのに良い方法はありません。この修習に皆さんが特別な注意を払ってくださいますように。 

 

(終わり)

 

 アーナーパーナ・サティを完成まで修習したものではない者にとって、特にコメントする資格すらないが、「仏教の目的は、利己主義の終焉です。他に何もすることはありません。説明は拡大して複雑になるかもしれませんが、それらはすべて、利己主義を取り除くという、ただ一つのことに要約されます。」この指摘はまさにそのとおりであると思う。

 

 利己主義こそ、苦の原因であり、苦そのものであり、諸悪の根源である。そして利己主義を根絶するのが、仏教の目的であると思う。