QVOD TIBI HOC ALTERI

Das ist ein Tagebuch...

仏教

空の心(8)

空の心は非常に鋭敏かつ完全に、idappaccayatā(此縁性)の法則に従って機能します。空の心は平和で完全であり、自然の法則に沿ってすべてを行います。ですから、どんな形式の苦しみからも解放されたいのなら、私たちは空の心で住すべきです。私たちは「空に…

空の心(7)

心が何ものにも執着しないとき、それは涅槃の心、つまり「涼しい」心です。かつては「私のもの」と見なされていたものはすべて、今では"tathatā"(真如)と見なされ、「ありのまま」と見なされるためです。ですから、私たちは何かを「私のもの」にすることを…

空の心(6)

さて、俗人はこの論題について、知るべきでしょうか、それとも知るべきではないのでしょうか?タイの一部の宗派では、在家俗人はこの問題について知る必要がないという見解を持っているのが通例なので、それについて考えてください。私たちはバンコクのある…

空の心(5)

空の心は「熱」がないため、「涼しい」と言われます。煩悩は、私たちが感覚の経験を扱うために心に生じる「熱」を表しています。見る、聞く、嗅ぐ、触る、味わう、考える、想像するなど、その際に私たちが不注意であるため、心を乱す故に、貪瞋痴の「熱」、…

中野成願寺

コロナが収まってきたので、月一回の坐禅会に参加するために、中野の成願寺に行って来た。 山門 本堂 本堂内部 圓通閣(観音堂) 龍鳳閣(開山堂)内部 洗心閣 蓮池鍋島家墓所 最初にこの坐禅会に参加したのは、今から十五年以上前。一年ほど通ったが、ここ…

空の心(4)

空の心は愚かさから解放され、完全な気づきと正しい知恵によって知的に考えることができます。心が落ち込んだり不幸になったりすると、私たちが持っているどんな気づきや知恵も阻害され、停止し、粗雑になります。心が空で、鬱や不幸がない場合、それは完全…

空の心(3)

それ故、空の心が何も考えたり感じたりしない、責任を感じない、善悪を認識しない、などということはありません。これは空の心に対する愚かで無思慮な批判です。というのも、たとえば、生き物や人を殺したりすることを悪事ではないと理解するような空の心に…

空の心(2)

さて、この「私」や「私のもの」の信念は、正しいでしょうか、それとも間違っているのでしょうか?私たちは、自然の真実と一致しない何かを信じますか?さて、法は自然の基本的な真実を表しています。そして自然の真実は、すべてが実際には依存しつつ生起す…

空の心(1)

また、ブッダダーサ比丘の法話を読んでみる。今回は、Buddhadāsa Bhikkhu, VOID MIND: Commonly Misunderstood Buddhist Principles Series – No. 2 (Buddhadāsa Foundation & Buddhadāsa Indapañño Archives, April 2015). 仏暦2525年(1982年)7月10日と17…

第三の願い(8)

私たちは、DHAMMAをDHAMMAJĪVĪとして実践しなければなりません。そうすれば、生命は物質主義から解放されます。 私たちは人類を物質主義の力から引き離すという大きな意図を持っているので、仲間である友人がそれを知って実践し、それを"Dhammajīvī"(ダンマ…

第三の願い(7)

したがって、特に問題や苦しみから抜け出す方法である八正道において、法の事柄に興味を持ってください。さらに広い範囲で話すと、それはこの世界から抜け出す道です。つまり、世界に存在するあらゆる種類の影響から、心と世界に影響を与えるものから抜け出…

第三の願い(6)

ダンマ(法)を人生の原則としてとらえ、さらに良いのは、それを人生そのものと見なしてください。「ああ!この車は私の人生です!」あるいは、「飲むことは私の人生です!」などと、愚かな人々が言うように、物質的な事物を皆さんの人生としてとらえないで…

第三の願い(5)

私たちが賢明さと正気を保つためには、物質的な事物に魅了されて、それらに支配されないようにする必要があります。また、物質的な事物と精神性はどちらも本質的に単なる元素に過ぎないため、精神性を過度に重視してはなりません。したがって、私たちは真如…

第三の願い(4)

自然や宇宙、あるいは何であれ、その「真実」を定義する哲学者も、表面的な物質的対象に関連する事柄に基づいて、真実を定義しています。心やダンマ(法)の問題でさえ、真に深遠な定義は提供されていませんが、それでも人々はそれらの原則を盲目的に遵守し…

第三の願い(3)

この法話を聴聞するためにここにいるすべての人に(お願いします)、自分自身をきちんと見て、自分自身に質問をしてください:なぜ私たちは、法を全く好まないのでしょうか?さて、私があなた方に答えを提供させてください。それは、それを認めたくないかも…

第三の願い(2)

物質主義における妄想は、利己心をもたらします。つまり、「自分の利益だけに関心を持つ」ことを意味します。それは、私たちの精神的な汚れ(煩悩)に餌を与えることになります。汚れた心は餌を与えるように泣きつきますが、純粋で清浄な心は餌を必要としま…

第三の願い(1)

また、ブッダダーサ比丘の法話を読んでみる。今回のは、以下の通り:Buddhadāsa Bhikkhu, "The Third Wish: To Lead the World Out of Materialism," The Buddhadāsa Indapañño Archives: May 2020. 仏暦2529年(1986年)5月27日、チャイヤのスアン・モッカ…

東司への道(7)

トイレに行く前にお辞儀をして下さい。朝、鐘が鳴ったら、クティ(kuṭī)を出る前にお辞儀をして下さい。食事を済ませた後、鉢を洗って物を片付けたら、お辞儀をしてからクティに戻ります。これらの機会を逃さないで下さい。鐘があなた方に水を汲むように促…

東司への道(6)

僧院を見渡すと、ブリキ缶、食器用洗剤の空き瓶、石鹸の包装が林のいたるところに散らばっていました。人々が敬意を払うためにやってくる僧院というよりは、屠殺場の裏庭のように見えます。縁起の良いものではありません。何かを捨てたい場合は、適切な場所…

東司への道(5)

あなた方の多くは、まるで漁に行ってきた騒々しい漁師の集団であるかのように、托鉢を行います。笑い声や冗談を言い合う声が遠くから聞こえます。ほとんどの人は何が起きているのか、わからないだけです。あなた方は、無意味で無駄なことに時間を浪費してい…

東司への道(4)

仏陀を想起して、仏法にあなた方の心を傾注してください。そこに仏陀自身が見えます。他にどこに仏陀がいるのでしょうか?ただ、あなた方自身の法を見つめて下さい。教えを読んでみて下さい。これで何か問題を見つけることができますか?目覚めた人(仏陀)…

東司への道(3)

Bhojanemattaññutāは、食事の節度を意味します。Jāgariyānuyogaは、休息の楽しみを味わうことなく、ひたすら精進することを意味します。Indriyasāṃvaraは、満足や不満の思いが生じないように、最初から目、耳、鼻、舌、体、心を制御することを意味します。こ…

東司への道(2)

仏陀が住居に関して定めた慣習は、それらを清潔に保つことを目的としています。トイレはセナーサナ(senāsana:居所)に含まれています。実際にはそれは、非常に小さなクティと見なされます。そしてそれは汚れていて乱雑であってはなりません。覚者の指示に…

東司への道(1)

まだコロナの影響で外出が憚られるので、その時間を利用して、久しぶりに、タイの高名な僧、アチャン・チャーの法話を読んでみる。彼のドイツ語版の法話全集("Die gesammelten Lehren von Ajahn Chah," Dhammapala Verlag, 2021.) を見つけたからである。例…

キリスト教と仏教(2-12)

成就 人が宗教から得ることができる究極の成就は、この世界での幸福と、来るべき神の世界で享受することができる善です。 富、名声、社会的承認、平和な家庭生活など、この世界の幸福は、(世俗の)一般的な文化的基準や価値観によって判定される可能性があ…

キリスト教と仏教(2-11)

自己救済 したがって、私は、人を救うことはすべての宗教の義務であり、同時に自分自身を救うことは、すべての人の義務であると断言します。自分を救済することは、本能の力によっても(つまり、外からではなく内からの力によって)可能であり、すべての生物…

キリスト教と仏教(2-10)

救済 私たち仏教徒は、イエス・キリストによってもたらされた救済が、人類をすべての苦しみから解放するための完全性(pāramitā: 波羅蜜)の発達に対応している、という印象を受けています。人が完全に悟りを開くには、たとえ自分の生命、最愛の息子と妻、手…

キリスト教と仏教(2-9)

3.神の子、イエス・キリスト イエス・キリストを信じない人は、父親のいない非嫡出子としてイエスを軽蔑するかもしれません。マタイによる福音書第1章20節には、次のように記されています。「彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言…

キリスト教と仏教(2-8)

ここで、奇跡について少しお話したいと思います。奇跡は常に、すべての宗教の中で最も紛らわしい主題でした。もちろん、まだ完全に法を理解していない人にとっては、奇跡に頼らなければなりません。さもなければ、彼らは宗教に全く注意を払わないでしょう。…

キリスト教と仏教(2-7)

子なる神 今、私たちは子なる神、つまり、神なる父の言葉の預言者と人類の救い主としてのイエス・キリストに目を向けたいと思います。人が原罪から解放され、最終的に神または永遠の命に到達できるように、彼は自分の命を捧げました。 イエス・キリストは、…